私たちにできること

いのちを選ぼう

TPPに参加しなければ、日本は、先進国から脱落してしまうのか。はたまた、TPPは、 低迷する日本経済に風穴を開ける特効薬なのかー。TPPをめぐる論争では、いつもそんな 言葉を目にします。けれども、いま私たちは、TPPに参加するべきか否かを議論をする前 に、もっともっと深いところまで、こころの中に降りていって、いのちに向き合いなが ら、ほんとうに私たちが大切にしたいものは何なのか、それを大切にできる暮らしは、社 会は、経済はどんなものなのかを話し合う作業をするときであるのだと、感じています。

私たちは、1月15日、体調不良のため急遽いらっしゃることが出来なくなった、カナ ダのブルースター・ニーンさん、キャサリン・ニーンさんご夫妻のメッセージに、当日会 場へ足を運んでくださった400人近くの方々と耳を傾けました。ブルースター・ニーンさ んは、『カーギル アグリビジネスの世界戦略』の著者で、グローバルフードシステム (グローバル化された食料システム)と呼ばれる、世界の食料貿易動向及び、穀物メ ジャー企業の実態について調査研究を進める第一線の研究者です。この日は、「TPPの本 質に迫る」と銘打った講演会でありましたが、ニーンさんのお話しは、TPPの本質のみな らず、人の暮らしの本質へと迫り、いのちとは、しあわせとは、と繰り返しわたしたちに 問いかけました。現代の貿易とは、競争だ。競争とは、他者から奪うこと。奪うことでほ んとうに私たちはしあわせになれるのか。仮に、しあわせだというのなら、そのしあわせ の陰に必ず存在する競争に敗れた人たちをどうするのだ。その向かう先は闇ではないか。 闇ではなく、いのちを選びなさい、と。

そもそもなぜ、私たちは、経済は発展しなければならない、そのために日本は開国しな ければならないと思うのでしょうか。そして、開国という意味は、グローバル化、つま り、より自由に貿易できるようにすることだと、あたりまえのように思うのでしょうか。 そこに疑問を持たないのは、盲目的な信仰と同じだと、ニーンさんは指摘します。この信 仰は、信じても信じても、決して満ち足りた平安を感じることの出来ないもの。駆り立て られるように走れば走るほど、ますます不安と怖れは膨らんでいく。けれども、引き返す ことはもっと恐ろしく、立ち止まることすら出来ないと思い込んでいる。まさに冒頭に記 した議論は、このような思いから生まれてくるのだと思います。

「私たちが今日ここに集まったのは、どんな道を歩むのかを私たち自身が選択できるの だということを共に学ぶためです」と、ニーンさんはおっしゃいました。怖れという名の 燃料を燃やしながら発車する、行く先の分からないミステリーバスに乗り遅れるまいと急 ぐ前に、正しい情報を得て、私たち自身で行き先を決められるのですよ、と促されてはじ めて目が覚まされたように感じました。他の国々に負けじと経済を発展させるために、 TPPに参加しようとする政府のやり方は、次々に現れる暗礁に船をぶつけないように必死 に舵を取りながら暗い海を進むようなものだけれど、私たちには、陸地つまり故郷に戻る 選択肢もあったのだと。ノーベル平和賞を受けた時、人々から、「私たちは世界平和のた

めに何をしたらいいですか」と尋ねられたマザー・テレサが答えた言葉が、「家に帰って ご家族を大切にしてあげてください」だったことを思い出していました。

けれども、外貨を稼ぐこと、発展することに価値を置くことに慣れてしまった私たち は、方向転換して家(地域)に帰れといわれても、簡単にうなずくことができません。多 くの人は、そんなことは理想論だといって、切り捨てようとするでしょう。何故か。地域 に帰れば、これまでのように、自分の力で富を築くやり方は受け入れられなくなり、助け 助けられる関係の中にしか、暮らしていける道は無いからではないかと思います。その生 き方に身をゆだねるということは、自分や相手、そして社会を信頼することです。信頼し 合い、思いやりを持って互いを大切にすることで、共に生きることができる経済を、ニー ンさんは、「地域の経済」と呼び、TPPを進めようとしている「工業的な経済」との違い を明確にしてくださいました。

「工業的な経済」を選んでいるかぎり、私たちは、カーギルやモンサント社のような超 巨大多国籍企業と競争しなければなりません。貿易協定を結ぶのは確かに国と国ですが、 実際に主導権を握っているのは、このような企業だといいます。TPPによって企業は、農 産物や工業製品だけでなく、金融、通信、保険、投資、労働、知的財産、環境などあらゆ る分野を自由貿易の対象として、貿易を進める上で障害となる関税を撤廃し、貿易規制や 安全基準を参加国間で統一しようと政府に働きかけています。例えば、米国は遺伝子組み 換え食品が安全であることを前提としているので、表示は必要ないとしています。1,100 を超えるバイオテクノロジー企業で構成されているバイオという団体は、バイオテクノロ ジー技術による産物をどんどん貿易しやすくするために、各国の遺伝子組み換え食品の表 示基準を米国のものに統一すること、つまり、表示をなくすことを政府に訴え、そのため に多額の資金を投入しています。このように、海外から参入しようとする企業の目的は、 人々の健康や暮らしを守ることよりも、貿易によって自らの利益を追求することです。さ らに、国はそれらの企業を国民と同じく平等に扱い、その権利を保護する義務を持つとい うのです。企業と国の関係を、キャサリンさんは、カウチでくつろぐ男(企業)にスリッ パを運んでくる忠実な犬(国)のイラストで見せてくださいました。具体的には、例えば 学校給食に地元の業者から優先的に仕入れをするなら、不公平だとして、自治体が企業に 訴えられる事態が起こりかねないということです。しかも、力を持った企業は、価格競争 に強いため、地元のどの業者も到底太刀打ちできず、駆逐されてしまい、挙げ句の果て に、企業はやっぱり儲からないからと撤退してしまうことも十分考えられます。地域の重 大事なのに、その決定は、市民も自治体も口を挟む余地のないまま、企業の会議室で決め られることになるのです。

「地域の経済」の出発点は、目の前にいる大切な人です。その人を、その人のいのちを 大事にすること。その人が食べるから、使うから、良いものを手渡したいと願う気持ち。 孫が食べるから、学校給食に使う野菜に、農薬を振らないで育てる農家のおじいさんがい ます。地球の向こう側にいる人たちを思いやることは難しいことです。また、今自分が 払ったお金も、地球の向こう側へ行ってしまえば、戻ってくる可能性は小さいけれど、地

元の人の手に渡れば、また自分に戻ってくる可能性は十分あります。ある調査によると、 地元で売り買いした場合、そのお金は、平均6回も循環してから地元を離れるのだそうで す。大儲けは出来なくても、必ず暮らしていける計算です。

「工業的な経済」の考え方から「地域の経済」へと価値観を転換するために、私たち は、技術も知識も財力も、与えてはじめて意味があるのだと、気づけるような経験が必要 です。研究者も商売人もサービス業者も農家などの物つくりも、市場原理の中のように敵 対するのではなく、それぞれが持てるものを持ち寄り、ともに地域の中の必要とする人に 差し出すとき、互いを喜びあい、自分の存在を確認し、信頼が育っていくと思うからで す。思いやり合う関係が結べる範囲で、信頼に基づく「地域の経済」が築けたならば、そ れは、TPPを押し進めようとする力に対抗する最も有効な方法だと、ニーンさんは断言な さいました。らくだが針の穴を通れないように、巨大多国籍企業は、大量生産されたのも のを動かすことは得意でも、相手を思いやって良いものを作る地域の経済の中には、どう がんばっても参入することは出来ないということです。

私たちは、喜び勇んで家へ帰り、心を込めて、まず地域の人が食べるものを育て、余っ たものがあれば外へ売るというやり方をしてみよう。それとは対極にあるTPPを前にしな がら、私は今、大切な人たちと、いのちを選ぶ道を歩こうと思っています。

2012年2月8日
メノビレッジ長沼
荒谷 明子